ノイズのように声が頭の中に響く。
あれは、母親の悲鳴と似ている。
それと同時に流れ込んでくる感情…。
「誰か…誰か、僕を助けて…!」
――瞬間、光が弾けた。
「お前は、独りじゃない…」
藍色の泪
BY:氷高 颯矢
【1】
視界には、見慣れた天井。
「夢か…それにしても、えらい古いの見てもたなぁ…」
起き上がって、洗面所に向かう。顔を洗い、それから鏡を覗く。ここにも見慣れた自分の顔。
「今日もバッチリ男前やん!」
藍澤実行、それが自分の名前だ。
「ミユ、漸くお目覚めか?」
タオルを差し出してくれたのは藍色の髪の美しい女性…ではなく、男性だ。
「おはようさん、藍華」
タオルで顔についた水滴を拭と、藍華がちょいちょいと突付いて来た。何だろうかと疑問に思うと、藍華は次に時計を見ろと指差した。
「…残念ながら遅刻、じゃないのか?」
時間を確認する。時計は11時5分を指していた。
「あ~っ!遅刻や~!」
今日は彼女とデートの約束をしていた。この間、彼女の誕生日に仕事で会えなかった埋め合わせにと、プレゼントだってちゃんと用意していた。それなのに遅刻とは、大失態だ。
実行は急いで服を着替えると、慌てて出掛けていった。
「…気の毒に。アレと付き合っている彼女には、同情を禁じえないな。まぁ、今まで続いた例がないから、今回も恐らくダメだろう…」
同居人、相棒、肩書きは様々だが、実行との付き合いは、もうかれこれ十年近くになろうとしている。女性にしか見えないその美貌の持ち主はため息をついた。実行は女にモテる。だから、中学に上がる頃から彼女がいないという時期は無いに等しかった。だが、それは長続きした事は無い。大抵相手の女性が疲れてしまったり、焦れて我慢できなくなって別れるのどちらかだ。
『実行は私に興味が無いのね…。本当は他に好きな人がいるんでしょ?』
必ず、そう言って彼女たちは去っていく。そして、実行は彼女達を追いかける事は無かった。束縛はするのもされるのも苦手だった。
ただ、唯一の人物を除いて――。
「――ただいま。藍華、京都行くぞ」
出かけて数分もしないうちに実行は帰ってきた。
「…また、呼び出されたのか?」
「仕事の依頼」
「いいのか?彼女との約束は――?」
仕度を始めた実行は振り返るときっぱりとこう言った。
「別れた」
やけにキッパリと、清々しいまでの表情で言い切った。
「まさかお前…」
「いつもの通りや。振られたんよ。バイクに乗ろうかと思ったら彩から連絡があって、遅刻の事もあったし、謝ろ思てすぐに彼女に電話してん。ほんで京都行きの事伝えたら、『もう貴方には付いて行けない!』…やって」
実行は『お手上げ』というジェスチャーをして見せる。その妙に開き直ったような、悪びれもしない態度に藍華はプチッと切れた。
「仕事の依頼があったにしろ、今すぐに行く必要は無かっただろう?せめて…」
説教モードに入った藍華はいつもの事ながら実行の不実を責める。
「でもな、藍華。最近は仕事でしか彩に会われへんねんで? 声聞いたら、すぐに顔見たなるんはしゃあないやん?」
実行の表情は活き活きとしている。その表情を見ると、藍華は諦めるより他は無かった。
「彼女の気持ちも良く解る…俺も時々お前に付いて行けなくなる…」
「そうは言うても、こんな俺を主に選んだんはお前やんか、藍華」
そう、実行は藍華の主だ。藍華は人間ではなく、『式鬼』だ。『式鬼』とは『神楽居』一族に伝わる式神で、自ら主を選ぶ。実行は藍華に選ばれ、『式鬼使い』になった。
「…それで。今回はどうするんだ?」
「新幹線で行くから、藍華は武器化しといて」
「はいはい」
「《鬼身変化》!」
藍華はその言葉に藍色の光を身体から発すると、その姿は光に融け、代わりに藍色の鞘に納められた小刀がそこに残った。
「さて、着替えは…」
実行はその小刀を手にすると、カバンの中に入れた。
「でも、俺を選んでくれた事、これでも感謝してんねんで?」
実行はそう呟き、柔らかい笑みを浮かべた。
――そうでなければ、出会えなかった。
「彩…」
「藍色の泪」は初出です。ずっと書きかけで止めてた。
実行が主人公の話はいくつかあって、その内の一つです。